玉虫日記 父のこと母のこと
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2009.03.14 (Sat)

薔薇


どうにも気分が晴れなくて、古い日記を遡って読んでいましたら当時のものが残っていました。あの日の私に出会って、ほんの少しだけ気を取り直すことが出来ました。すっかり忘れていましたが、あの頃私は肩を痛めていて酷い痛みがずっと続いてとても辛かったのです。そのことと母に私がした仕打ちとは別件で言い訳に過ぎないのだけれど・・・
仲直りした時のことも全く覚えていなくて、あぁこんな事があったんだ・・と。
肩の痛みよりもそのいきさつを思い出して少しだけ明るい気持ちを取り戻せたようです。

薔薇は息子からのプレゼントです☆。.:*:・'゜
ホワイトデーのお返し?いえいえそうではなくて、卒業式を迎えた生徒さんからのプレゼントだったそうです。
それをそのまま私がありがたく頂戴いたしました(^-^;)
黄色い色は元気のしるし!明日はどうやらお天気も晴れ模様☆。.:*:・'゜
お墓参りを済ませたら私も春を探しにいかなくちゃ~です!(。^。^。)b
21:48  |  父のこと母のこと  |  トラックバック(0)  |  コメント(6)

2008.12.21 (Sun)

冬至


今日は随分暖かな冬至となりました。
秋のような穏かさの中叔母とお墓参り。
菊の花束を抱えた叔母はもう70をいくつも越えているはずなのに
相変わらず背筋もしゃんとして髪も綺麗に染めてふと見れば指先に淡いピンクのマニュキュアまで!
わたしなんかよりずっとお洒落さんです。
お墓参りを済ませた後は二人でお昼ごはん・・これも恒例。
あれこれ近況を語り合った後はお定まり私の両親の話。
案外父も母も自分たちのことを話さないまま逝ってしまったので
若い日の二人のことを知る叔母の話はいつも楽しいのです。
父と母の馴れ初め・・結婚式のこと・・そして私が生まれた日のことなど話は尽きません。

そして今日冬至・・この日は二人の結婚式。
ずいぶん寒い日に挙式したものです。
しかもこんなに暮も押し詰まってから・・

というのは、

父の妹の結婚式を2月3日に控えてのことからです。
父には弟妹合わせて五人いて
当時1番下の弟は10歳でありました。
空襲で母を亡くしていた兄弟の母親代わりを勤めていた叔母が嫁ぐにあたり
母は結婚と同時に叔母から母親役もバトンタッチされたという次第です。

古いアルバムを紐解けば花嫁花婿をぐるりと囲んだ
父の弟妹とその父親(私には祖父)の写真があります。
高島田の母はちょっと唇をすぼめてお澄まし
なんだか笑える一枚です。やっぱり私に少し似てます・・
今度スキャンしてみましょうか・・

画像は山茶花、今真っ盛り☆。.:*:・'゜
23:16  |  父のこと母のこと  |  トラックバック(0)  |  コメント(14)

2008.02.04 (Mon)

最期のとき


一昨年の丁度今頃
病院で
義妹と甥っ子姪っ子
それから夫そして息子、私の6人で母の枕辺に詰めていました。
外は木枯らしが吹いて寒い夜でした。
主治医が遠方の学会に出向かれていて
当直の先生はお忙しそうでとても心細かった。

苦しそうに肩で息をする母にがんばれとはとても言えなくて
ただただ早く楽にしてあげてと亡き父と弟に心の中で願っていました。
朝から一度も目を開けることもなく意識のないまま夜を迎えたのでした。

もう血圧が随分下がって血液中の酸素濃度もどんどん低くなってゆき
臨終間際というときになって、突然母が目を開いたのです。
大きな目を見開いて何か見えないものを見ているのです。
朝から何度も何度も呼びかけても眠ったままで
母の意識は既に此処には無いことははっきりと判っていました。
そんな母がしっかりと両目を見開いて、天井付近を見上げているのです。
凝視するのではなくて見渡していました。瞳が動いていましたから・・
あの時母は何を見ていたのでしょう。
何が見えたというのでしょう。
とても嬉しそうで、幸せそうで瞳がキラキラと輝いていました。
たとえて言えば幼子が初めて夕焼けを目にしたときのような
雪景色を見たような、丁度そんな風でした。
時間にすれば数分でしょうか・・
やがて静かに目を閉じて息を引き取りました。
口元には笑みが浮かんでいました。

母が最期に目にしたものを私は知るべくもありません。
ただ辛いことの多かった母の人生の最後の最期が
幸せそうだったことは私にとって大きな慰めになりました。
何か大きな力に助けられて母は旅立って逝ったのだと今そう思います。
何度振り返っても不思議で心に残る母の最期の時・・・
いつか、また母に会うことがあったら
「お母さんいったい何を見ていたの?」
って是非尋ねてみたいとそう思うのです。


苺大福。
友人が母にお供えしてと今日届けてくださいました。
Mさんありがとう~。
母も大好物でした・・きっと今頃目を細めていただいてることでしょう!
21:21  |  父のこと母のこと  |  トラックバック(0)  |  コメント(8)

2008.02.03 (Sun)

三回忌


息子を送り出してほっとした所為なのか
また少しだるくて体温計のお世話になりました。
デジタルの何処にでもある体温計ですが、
これは母が使っていたものです。
実家の遺品の片付けをしていたおり
ベッド脇サイドテーブルにあったものを持ち帰りました。

脇に挟むとひんやりとして
子供の頃熱を出した私のほてった額にあてがってくれた
母の手の心地よい冷たさを思い出します。
計り終えると知らせてくれる小さな小さなベルの音は
優しい母のため息にも聞こえます。

早く元気にならなくちゃ・・・
明日はお墓参りに行くのですから・・

節分の夜があければ明日は立春。
母が逝って丁度三年目の日を迎えます。

*----*----*----*----*----*----*----*

「のちの思ひ」

ざわざわと木の葉の騒ぐ音がする 顔見るまでの不安な時間

「痛いの」と問えば小さく首を振る「嘘」と言えずに泣き笑いする

大丈夫と微笑む母の嘘が今体温計の数値に顕る

帰り支度すれば寝たふりする母の白い手握る夜の病室

にっこりと笑ってくれたチョコレート一片け分の幸せな時

いつまでも続けと願いいつまでも続かぬようにと思う暗闇

ほらそこに猫がいるよと母が言う見えないものが連れ去りに来る

父のもとそろそろ帰ると母が笑むそうねとともに笑うは幸せ?

虫の泣くそんな息する枕辺でいつか1人になるを怖れる

如月の空に傾く三日月が母の面に死の影を落とす

あと少しあと少しだけ引き止めて留めておきたい母のぬくもり

ごめんねごめんねありがとうも言えなくてごめんねかあさん

ありがとうって呟けばもう母は逝くそんな気がして言葉飲み込む

さよならは開放の時 もの言わぬ母の面に 笑みの浮かべり

もう会えた?父さん迎えに来てくれた?
中有(ちゅうう)の闇に問い掛けてみる



母、1928年3月29日生まれ
1987年1月 胆管がん 胃、胆嚢、十二指腸全摘。肝臓1/2膵臓1/2摘出
2003年、胆管に再発が見つかり手術を勧められるも、「病気と寿命は別」と手術を断る。
治療はせず気力で病気と戦うことを自ら医師に告げ1人暮らしを続ける。
2005年3月脳梗塞発症。右半身マヒ。三ヶ月のリハビリで歩けるまでに克服。6月退院。
一日二回のヘルパーさんの助力で1人暮らしを再開。
2005年12月転倒により脊椎軟骨と肩を骨折。整形外科に入院加療中、がんが悪化。
胆管閉塞による黄疸。肝硬変。多臓器不全により
2006年2月4日死亡。享年77歳
22:14  |  父のこと母のこと  |  トラックバック(0)  |  コメント(16)

2007.08.16 (Thu)

鷺草




鷺草が咲くと父を思います。
父の若い日を思います。
鷺草は父の花です。



翼を広げ自由に飛ぶ飛行機・・
亡くなった父は飛行機が大好きでな人でした。
ゼロ戦や隼?などの戦闘機のプラモデルを暇を見つけては
それは熱心に組み立てていました。
父のそんな飛行機好きの所以はどうやら父の叔父にあったようです。
先日実家に帰りましたら母が一通の手紙を見せてくれました。
明石に住む父の従妹がもたらしたという一通の手紙は
父がまだ小学生のころのものでした。
血縁を説明すると複雑になりますので端折りますが、
当時、父の叔父はまだ20代で海軍の航空兵であったそうです。
その叔父宛に出した幼い父の手紙が半世紀以上を経て私の手に届きました。
兄上様ではじまる古い手紙は、小学生だった父のあどけない筆跡とそれから
尊敬する叔父へ寄せる熱い思いが込められていました。
学校での勉強のこと、成績のこと。言うことを聞かない弟達のこと。
それとともに遠く離れた地で活躍する叔父の健康を気遣い、
そんな叔父をもったことを誇らしく思う気持ちに溢れた文でもありました。
ことに飛行機に寄せる憧れは格別だったようで
「兄上様今日は何時間乗ったのですか?」「どのあたりを飛行なさっておいでですか」
などたくさんの質問が書かれていました。
その叔父も終戦間近にフィリピン沖で戦死。
父の悲しみはいかばかりであったかと今更ながら胸が痛む思いがいたします。
遺影はわたしの幼いころの家の仏間にもずっと飾られていました。
歳を取らないその人の面差しはどこか父に似ていて
もちろん私が会うことなどあろう筈もない人ではありましたが
それでもどこか慕わしい思いがするのは不思議です。

そんな父が亡くなる間際に見た夢もまた、飛行機の夢でした。



深夜3時

父が私を起こした。父の病室
とっさに何処にいるかわからなくて驚いたけど
はっと我にかえって飛び起きる

私 「どうしたん?どこか苦しいの?」
父 「夢をみた・・飛行機を作る夢やった」

私 「ふ~ん。どんな飛行機?」
父 「たんぼがず~っと広がってて一面黄金色なんや。
  米がいっぱい採れてそれを運ぶ輸送機・・。
  一生懸命組み立ててやっと出来た。」

私 「よかったねぇ。楽しい夢見れて・・・」
父 「うん。うん。ええ夢やったわ・・・。」

私 「そしたら夢の続きが見れるようにもう一回寝よね・・」
父 「そうやな・・・おやすみ。起こして悪かったなぁ・。」
私 「ええよ・・おやすみ・・・。」

父 「あ!思い出した飛行機の名前なぁ。ロビン号や。」
私 「ロビン号?いい名前ね・・こまどりって意味やね。」

父 「zzZZZ」

             
戦時中父自身は外地に赴くことはありませんでしたが
学徒動員というのでしょうか?飛行機の整備に関わる仕事をしていたようです。
そんな父が最期に見た夢がロビンの夢。半ば意識もない状態の続くころのことでした。

ロビンの名がいったいどこから出てきたのかとずっと不思議に思っていたところ
父の本棚に一冊の本を見つけました。

サンティグジュペリ「夜間飛行」

やっとやっと、ロビンの謎に行き着きました。*^-^*


(2000年11月30日/日記抜粋)
21:53  |  父のこと母のこと  |  トラックバック(0)  |  コメント(6)
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